4日かけて見たから(寝る前に)細部がぼやけているけど展開も引っ張った物だったから
ストーリーはつかめていると思う
マットデイモン扮する主人公(元霊媒師)が引退後も何人かと交霊する中で
起こるヒュ-マンドラマ
最初の相手は中年女性で内容は忘れた・・・覚えて無くてもストーリーに影響なし
二番目の相手は料理教室で出会う女性・・・亡くなったお父さんがひたすら謝る
三番目の相手は女性のニュースキャスターで、こちらは著書の朗読会後のサイン会で
偶然手が触れて見えてしまう(津波に呑まれて臨死体験をする)
四番目の相手は双子の兄を亡くした弟・・・兄が弟を励ます
ラストシーンは主人公がニュースキャスターと結ばれる。。。で終わる
この結末、実は意味が分からなくてググろうとしたんだけど少し考えてみた
すぐググるの良くないなぁと思って
で、出てきた答え:
主人公は交霊するたびに「繋がる」と言っていた
俺の見解は、繋がる=なっちゃう(本人に)
だから二番目のひたすら娘に謝るお父さんは、どう考えても娘と付き合えないし
4番目の少年には「俺がついてる」みたいなこと言っちゃうし
今までいろんな人とであって、交霊して終わった仲が多かったみたいなこと言ってる
シーンがあったけど、相手を知ることで好意が生まれ、でも「なっちゃう」から
自分の純粋な好意とは違う感情?も生まれちゃって好意は恋に発展できないみたいな
で、ニュースキャスターの場合は好意が生まれて、でも「なっちゃう」対照がいないから
好意が恋に発展できた。。。と見る
クリント・イーストウッドのこの手の映画は「さぁ皆で考えよう」みたいな所があって
そこには、言っちゃえば楽なのに、あえて言わないで考えさせるという
人間性の再生希望みたいのが感じる
映画で後世の役に立てることは何か?とか、この映画で人類の共生のための
要素を残したいとか思っているのかな?
だとすれば言いたいところは、知らない人でも知ることで大事に思えたり
どんな人でも知る事から好意が生まれるという事とか、知らないがゆえに無関心を
決められる相手でも、知ったらそうはいかない、責任ではなく愛が動機となって
相手を思いやるのが人間性なのだ。。。みたいな
自分も相手からしたら同じだから、人に知られることで大事にされたり
人に知ってもらうことは生きていく上で、社会に参加していく上で、大事なことなんだと
だから、自分が大事にされていないと思って、いじけちゃいけない
困っている人を見るとき、知らない人・・・と区分しちゃいけない
人類みな兄弟!!(飛躍しすぎかな?)みたいな。。。
似たような話しは、星の王子様「一匹のキツネの話」とか、
日本の誰かが言った、もしくは中国の誰かが言った
「馬には乗ってみろ、人には添うてみろ」かな
エンディング、犯人は誰なんだ!?みたいのは気になってイヤだけど
こういうのは、良心が再起動するみたいな感覚があって良い
正確には、この良心を有効にするには今すぐ再起動する必要があります・・・
開いているドキュメントを全て閉じ今すぐ再起動しますか?・・・
⇒ 「はい」・・・みたいな気持ちになれるのがいい
終盤で、4番目の少年が主人公の恋心(ニュースキャスターに対する)を察知したのは
「なっちゃった」主人公は一卵性の兄、「二人で一人」だから。。。
お見通しだったんだと思う
以上
0 件のコメント:
コメントを投稿