2012年1月21日土曜日

ヒア・アフター(映画)

4日かけて見たから(寝る前に)細部がぼやけているけど展開も引っ張った物だったから
ストーリーはつかめていると思う

マットデイモン扮する主人公(元霊媒師)が引退後も何人かと交霊する中で
起こるヒュ-マンドラマ

最初の相手は中年女性で内容は忘れた・・・覚えて無くてもストーリーに影響なし

二番目の相手は料理教室で出会う女性・・・亡くなったお父さんがひたすら謝る

三番目の相手は女性のニュースキャスターで、こちらは著書の朗読会後のサイン会で
偶然手が触れて見えてしまう(津波に呑まれて臨死体験をする)

四番目の相手は双子の兄を亡くした弟・・・兄が弟を励ます

ラストシーンは主人公がニュースキャスターと結ばれる。。。で終わる

この結末、実は意味が分からなくてググろうとしたんだけど少し考えてみた

すぐググるの良くないなぁと思って

で、出てきた答え:

主人公は交霊するたびに「繋がる」と言っていた

俺の見解は、繋がる=なっちゃう(本人に)

だから二番目のひたすら娘に謝るお父さんは、どう考えても娘と付き合えないし

4番目の少年には「俺がついてる」みたいなこと言っちゃうし

今までいろんな人とであって、交霊して終わった仲が多かったみたいなこと言ってる

シーンがあったけど、相手を知ることで好意が生まれ、でも「なっちゃう」から

自分の純粋な好意とは違う感情?も生まれちゃって好意は恋に発展できないみたいな

で、ニュースキャスターの場合は好意が生まれて、でも「なっちゃう」対照がいないから

好意が恋に発展できた。。。と見る

クリント・イーストウッドのこの手の映画は「さぁ皆で考えよう」みたいな所があって

そこには、言っちゃえば楽なのに、あえて言わないで考えさせるという

人間性の再生希望みたいのが感じる

映画で後世の役に立てることは何か?とか、この映画で人類の共生のための

要素を残したいとか思っているのかな?

だとすれば言いたいところは、知らない人でも知ることで大事に思えたり

どんな人でも知る事から好意が生まれるという事とか、知らないがゆえに無関心を

決められる相手でも、知ったらそうはいかない、責任ではなく愛が動機となって

相手を思いやるのが人間性なのだ。。。みたいな

自分も相手からしたら同じだから、人に知られることで大事にされたり

人に知ってもらうことは生きていく上で、社会に参加していく上で、大事なことなんだと

だから、自分が大事にされていないと思って、いじけちゃいけない

困っている人を見るとき、知らない人・・・と区分しちゃいけない

人類みな兄弟!!(飛躍しすぎかな?)みたいな。。。

似たような話しは、星の王子様「一匹のキツネの話」とか、

日本の誰かが言った、もしくは中国の誰かが言った

「馬には乗ってみろ、人には添うてみろ」かな

エンディング、犯人は誰なんだ!?みたいのは気になってイヤだけど

こういうのは、良心が再起動するみたいな感覚があって良い

正確には、この良心を有効にするには今すぐ再起動する必要があります・・・

開いているドキュメントを全て閉じ今すぐ再起動しますか?・・・

 ⇒ 「はい」・・・みたいな気持ちになれるのがいい

終盤で、4番目の少年が主人公の恋心(ニュースキャスターに対する)を察知したのは

「なっちゃった」主人公は一卵性の兄、「二人で一人」だから。。。

お見通しだったんだと思う


以上

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